私は・・・。
私はどんな形であるにせよ、幸せに向かって歩いていると思っていた。
私がどうなろうと、悲しむ人はいないと思っていた。
実際に、悲しむ人はいたとしても、その人は私を止めないし、止められない。
だからいないのと同じだと思っていた。


ある人から言われた。
「私からみたらかわいそうな人、哀れな人にしか見えない」


・・・。
私は、誰かといないと生きていることで幸せになることはできないの。
でも、私にはその「誰か」がいない。
けど、私が生きているうえで苦しがっていては、嫌な思いをする人が少なからずいる。
故に、私は独りで幸せになるため、いま歩みを進めている。
いまはきっと、とても充実している。何かもが鮮やか。そのうち全てが黒くなるけれど。
この想いを知れば、きっと他人からは「可哀想な人」「哀れな人」なのだろう・・・。
でもお願い・・・私が歩いている先が幸せであることをわかって・・・。
その過程が、「可哀想」や「哀れ」では意味がないの・・・。
それでは私の最後は幸せではないの。
独りで頑張っている意味がどこにもなくなってしまうの。
お願い・・・可哀想なんて・・・哀れなんて言わないで・・・。
私は・・私は・・・・幸せなんだから・・・。

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テーマ:うつ病(鬱病)、メンタルヘルス - ジャンル:心と身体

【2008/06/21 07:09 】 | 腐言 | コメント(2) | トラックバック(0) | page top↑
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コメント
--お邪魔します。--
幸せの価値観は人それぞれだと思います。
その人にとっては哀れと見えることも、マルタさんにとっては幸せ。それならばそれで良いのではないでしょうか…
マルタさんの幸せは誰に決められるものではなく、マルタさんが決めるものです。
自分の進む道をどうぞ信じてあげてください。
by:柊 | URL | #-【2008/06/22 01:22】 [ 編集] | page top↑
--柊さん--
自分の道、幸せだって信じたいなー・・・。
でも、幸せでも不幸でもどっちに転んでも後悔だけはしたくないです。頑張ってきたことを後悔してしまってはそれこそ「哀れ」ですから。
納得のいく終着点にしたいです。
by:加納マルタ | URL | #-【2008/06/24 04:37】 [ 編集] | page top↑
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