鬱を抱えて過ごしています。
〜 ゆっくり生きるの。いまはそれだけでいいんだって。 〜
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私はどんな形であるにせよ、幸せに向かって歩いていると思っていた。
私がどうなろうと、悲しむ人はいないと思っていた。 実際に、悲しむ人はいたとしても、その人は私を止めないし、止められない。 だからいないのと同じだと思っていた。 ある人から言われた。 「私からみたらかわいそうな人、哀れな人にしか見えない」 ・・・。 私は、誰かといないと生きていることで幸せになることはできないの。 でも、私にはその「誰か」がいない。 けど、私が生きているうえで苦しがっていては、嫌な思いをする人が少なからずいる。 故に、私は独りで幸せになるため、いま歩みを進めている。 いまはきっと、とても充実している。何かもが鮮やか。そのうち全てが黒くなるけれど。 この想いを知れば、きっと他人からは「可哀想な人」「哀れな人」なのだろう・・・。 でもお願い・・・私が歩いている先が幸せであることをわかって・・・。 その過程が、「可哀想」や「哀れ」では意味がないの・・・。 それでは私の最後は幸せではないの。 独りで頑張っている意味がどこにもなくなってしまうの。 お願い・・・可哀想なんて・・・哀れなんて言わないで・・・。 私は・・私は・・・・幸せなんだから・・・。
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--お邪魔します。--
幸せの価値観は人それぞれだと思います。
その人にとっては哀れと見えることも、マルタさんにとっては幸せ。それならばそれで良いのではないでしょうか… マルタさんの幸せは誰に決められるものではなく、マルタさんが決めるものです。 自分の進む道をどうぞ信じてあげてください。 --柊さん--
自分の道、幸せだって信じたいなー・・・。
でも、幸せでも不幸でもどっちに転んでも後悔だけはしたくないです。頑張ってきたことを後悔してしまってはそれこそ「哀れ」ですから。 納得のいく終着点にしたいです。 |
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